修理には様々な流儀があります。
これまでの経験や勘を重視する人もいますし、測定器を積極的に活用する人もいます。
私は後者です。
デプスゲージ、マイクロメーターなど機械的なものから、オートコリメーター、コリメーター、オートコリメーター、実態顕微鏡など光学的なもの、信号発生器やオシロスコープなど電気的なものに及び、多くの測定器を使用しています。
時々、
「そこまで測定器に執着する必要があるのですか」
と聞かれることがあります。
その答えは単純です。
私は機械の状態を想像ではなく、できるだけ事実として知りたいからです。
人間の感覚は優秀だが万能ではない
長年修理を続けている人は、音や手触りだけで異常を見抜くことがあります。
私にはとてもできません。
しかし、人間の感覚には限界があります。
例えばシャッタースピード。
1/250秒と1/320秒の違いを耳だけで判断することは難しいでしょう。
フランジバックの差異によるピント位置の誤差も、人間の目だけでは定量的な評価ができません。
感覚は重要ですが、それだけでは確認できない領域があります。
「動く」と「正常」は違う
修理を開始する時点において重要なのは、
「動いた」
ではなく、
「どの程度の精度で動いているか」
です。問題の切り分けができないためです。
シャッターが切れることと、適正な速度で動作することは別です。
無限遠が見えることと、正しい位置で合焦していることも別です。
測定器は、その差を確認するために存在します。
数値は共通言語になる
測定器のもう一つの利点は、状態を客観的に記録できることです。
「だいたい良い」
ではなく、
「シャッタースピードを1/125秒にセットしたとき、実測1/118秒」
というかたちで残せます。
感覚や経験は人によって異なりますが、数値は比較的共通の基準になります。
再修理や経年変化を追う際にも役立ちます。
技術を疑うための道具
私は測定器を、自分の技術を証明する道具だとは考えていません。
むしろ逆です。
自分の思い込みを疑うための道具だと思っています。
「合っているはず」
「問題ないはず」
そう思ったときに測定してみると、予想と違う結果が出ることがあります。
経験を積むほど、自分の感覚を過信しないための仕組みが必要になります。
測定器は真実そのものではない
もちろん、測定器が全てではありません。
測定器が示す数値だけでは分からないこともあります。
操作感。
作動音。
実際の使用感。
そうしたものは人間が判断しなければなりません。
だから私は、
感覚を否定するために測定器を使うのではなく、
感覚を補うために測定器を使っています。
見えないものを見るために
古いカメラや機械の内部では、目に見えない現象が起きています。
ほんのわずかな速度の違い。
わずかな光学的誤差。
わずかな電気信号の変化。
測定器は、それらを見える形に変換してくれる道具です。
私が測定器を使う理由は、高度な機材を並べたいからではありません。
目に見えないものを見て、思い込みではなく事実に近づきたいからです。